足早にバルコニーに戻ると、オレはすぐにハインリヒに声をかけた。 「すみませんが、電話に出てもらえませんか?」 「…僕が?」 ハインリヒは驚いた表情で自分の胸を指差した。 「そうです。お願いします」 「別に構わないが…僕に何の用なんだい?」 「とにかく出ていただければわかると思います」 オレは適当に言葉を濁して、携帯を彼に渡した。 ハインリヒは訝しげな顔をしながらも、一応は電話に出ることにしたようだ。時代遅れなオレの携帯 のデカさに驚きつつも、携帯を受け取ると耳に当てた。 この男、セレブな割に意外とサービス精神があるのかもしれない。いや、セレブだからこそ、見ず知ら ずの人間と電話をする気になるのかもしれない。 「いったい、僕に何の用があるんです?」 「電話を耳に当てない方がいいわよ」 「!なっ!なっ! なんなんだ!」 ハインリヒは驚いて電話を耳から離した。ジュリーの声は彼から離れている、オレとミシェルにも ハッキリ聞こえるぐらいの大音量だった。 「君、もっとボリュームを下げてくれ。いつもこんな風に大きい音で聞いてるのかい? 難聴になりそうだ」 オレは彼に言われる前に、すでに携帯を取ってボリュームを下げ始めていた。 さっきジュリーと話していた時は普通のボリュームだったのだが…どうしてだろう? 「無駄よ。音量はこっちで操作して るんだから。電話を執事にでも持 たせて離れて喋ったら?」 「……わかった。そうするよ」 オレはハインリヒを見た。彼はただ呆気に取られていて、2・3秒固まっていたが、その後、指をパチン と鳴らした。 「おい、電話を持っていてくれ」 そう言われた執事はオレの腕から携帯電話を取ると、主人のほへ向けて恭しく差し出した。 ただし、2メートルほどの距離を開けて、だが。 おそらく、こんなことは彼の人生で初めての経験であろう。 ───携帯電話を携帯せずに、わざわざ離して持たなければならないとは。本末転倒も甚だしい。 「彼女はいったい誰なんだ?」 「その質問は後!」 オレが言うより先に、携帯電話が答えた。この距離だと、丁度いい音量である。 「それで、僕に何の用があるんだ?」 「あんたがランディーを馬鹿にするから、アタマにきたのよ。わかる?」 「わからないな。僕は馬鹿にした覚えなんてないよ」 「あっそ。あんたが覚えていようがいまいが、そんなの関係ないわ! とにかく、何か言いたいこと があるなら、今からあたしの出す質問に答えてから言いなさいよ」 「…何で僕がそんなことしなくちゃならないんだ?」 ハインリヒは声を荒げた。まぁ、無理もない。いきなり見ず知らずの女から電話がかかってきて (本当は見ず知らずのブタなのだが…)、命令口調で捲し立てられたら、怒るのも当然である。 「文句があるなら質問に答えた後よっ!」 「………ひどい口の利き方だね、お嬢さん。僕に質問に答えてほしいなら、もう少し丁寧な言い方って ものがあるんじゃないか?」 「Shut up! 質問に答えろって 言ってるのがわからないの? それともあたしの質問に答えら れないのが恥ずかしくて、いつ までも渋ってんの?」 「そんなんじゃない!」 「じゃあ、さっさと質問に答えなさいよ! いいわね」 「わかったよ!」 ハインリヒはバルコニーの桟を右手で叩いて言った。 ジュリーは恐ろしいブタである。相手は警察官なのに、まるで借金取りのように、凄まじい口調で 攻め立てて、ついには了承させてしまった。それにしても、ジュリーはどうしてこんなに火がつきや すいのだろう? オレ達は毎日、のんびりとトリュフを採っているだけなのに…。 一体どこで"shut up"なんて言葉を覚えたんだ…。