第14話 親しき仲にも… 

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居間に入っていくと案の定、ジュリーはソファで寝そべって、悠々とくつろいでいた。 『おかえり。───うーん、やっぱ合わないなぁ』 なにやら訳のわからない事を呟きながらも、一応、ジュリーはオレ達に挨拶をした。 「ただいま。なぁ、何が合わないんだ?」 『ロイって名前』 『…………………失礼な』 ムスッとした声でロイがソファの横を通り過ぎて行く。彼は何処までもクールでオトナな、ダンディ な男である。その証拠に、彼はジュリーにどんなにしつこいちょっかいを出されても絶対に怒らないし、 何を言われてもイライラしない。今回だって、不機嫌な口調になってはいるが、それ程は気にして いないのである。こんなにできた性格の持ち主は、人間でも滅多にいない。人間というよりも、 むしろ"キリスト""仏"と言った神の領域に近いような気さえしてしまう。 『そうじゃないったら。ロイって名前自体は何も問題ないんだけど、当てはめると、なんかおかしく なっちゃうのよねぇ〜』 そう言いながら、ジュリーは巻き尾をプルプルと器用に振った。───大抵、こういう時のジュリー は、自分にとって何か楽しい考え事をしている。しかも、その内容は全くアホらしい事ばかりである事 が多い。 そうとわかっていながら聞く自分も自分だが、聞きたくなってしまうものは仕方がない。 「で、何に当てはめたんだ?」 『名犬ラッシーと忠犬ハチ公よ』 「は? どういうこと?」 『これに当てはめるのよ』 「つまり…」 『名犬ロイと忠犬ロイ公』 「………うん。確かになんかあってないな。しっくりこない」 『でしょ。やっぱ名犬って言ったら、万国共通でラッシーよねぇ?』 二人であーでもない、こーでもないと言い合っている内に、ロイが再びソファの横を通った。 『言うなら忠犬ロイだ。ハチ公はハチ公でひとつの名前だろう』 そのまま彼はスタスタ歩いて行ってしまった。 「で、ジュリー。何でロイに突然、忠犬とか名犬とか言い始めたんだ?」 『あんたと違ってさ、ロイは体型もあたしに近いし、大きさも丁度いいし、何より、あんたより ずっと付き合いがいいのよ〜♪ 2時間の特訓に付き合ってもらったんだけど、やっぱり警察犬 って優秀なんだって、改めて感じたわけよ。で、色々考えてたら、そうなったの』 「2時間もか…」 思わず、ロイに同情の視線をやってしまう。ロイはジュリーと適度な距離を保ち、決してそれ以上 近づこうとはしない。 「2時間、何をやったんだ?」 『15分のスパーリングと5分休憩を1セットにして、連続6セットよ』 「マジかよ…」 聞いているだけで、眩暈がしてきた。ロイは実際に思い出したのか、それとも再び実験台になること に恐怖を覚えたのか、必死にミシェルの足元にうずくまっている。 「ジュリー、見てみろ。ロイがあんなことになってるぞ」 『ありゃりゃ?』 「ありゃりゃ、じゃない。おまえ、やりすぎだぞ。わかってるのか?」 『ロイは警察犬だから、体力は絶対、あたしよりもあると思ってたけどなぁ…』 ジュリーはソファーの上で首をかしげている。オレは哀愁の視線を隣から感じ、視線の主に促した。 「言ってやってくれ」 『あまり言い訳はしたくないが…。ひとつだけ言わしてもらえば、2時間ずっとサンドバックの役 をやるのは、流石に胃腸にくるものがある…。せめてプロテクターがあれば…』 『ごめんね。今度プロテクター買うわ』 『………』 ロイは返事をするかどうかで躊躇している。当然だ。話の流れで止む無く"プロテクター"と言ったのに、 ジュリーは真意を全く理解していないのだから。 「ジュリー。ロイはお前のボクシングとか、柔道とか、相撲のせいでな、ボロボロになって、ヘロヘロで、 ゲロゲロしそうなんだよ。わかるか? 文句も言わずに付き合ってもらって、悪いと思わないのか?」 『…ちょっと悪かったかな…なんて、思ったりしないでもないけど…』 「で、ちゃんと謝って、お礼は言ったのか?」 『…まだ』 「そうか」 オレは最後まで促したりはしない。ジュリーは確かに子どもっぽい部分もあるが、そこまで子どもと 言うわけでもない。オレ達は親子のようでもあり、対等なパートナーでもある。その関係は、時と場合 によって変わるのだ。ジュリーは少し考え込んでいたが、しばらくすると、モゴモゴと鼻を動かし始めた。 『ロイ…えっと…スパーリングの相手をしてくれてありがと。それから、色々とガマンしてくれたみたい でゴメン』 『…いいんだ。俺もついつい我を張って、痩せ我慢をしてしまったからな。わかってくれれば…』 『そうよね? 警察犬だからって、何もずっと忍耐強く我慢してることなかったのよ。言いたい事は 言わなくちゃ。ストレスで胃潰瘍になるわよ』 『…』 早くも調子を取り戻したジュリーにまくし立てられ、ロイは再び口を閉ざしてしまった。 こうなったらオレがフォローに入るしかない。 「ロイ…ごめんな。明日の仕事に響くだろ」 『明日までには回復してみせる。仕事は万全の体調で取り組みたいからな』 ロイは力なく頷いた。警察犬の鏡のような犬だ。しかし、だ。彼の体調は気になる。 「ムリしてストレス溜めるなよ…。ジュリーが言ってたみたいに、ホントに胃潰瘍にでもなったら 大変だぞ」 『お前が心配する程、警察犬の精神はヤワじゃないから安心しろ。それに、どちらかと言えば、ストレス で胃潰瘍になるより、ジュリーの締め技で胃捻転になりそうだ』 『…ご、ごめん…』 やっと、ジュリーにもロイの辛さが理解できたらしい。 ソファから下り、神妙な表情でうつむいている。 『もう過ぎたことだ。気にしなくていい。それより、明日も皆、仕事があるだろう。そろそろ解散に しないか?』 「そうだな。…ミシェル、これから帰るとなると遅くなるだろ? ロイが心配してるぜ」 「そうね。そろそろ帰ったほうがよさそうだわ」 ミシェルは軽く時計に目をやると、バッグを取った。 「今日はありがとう。本当に助かったわ」 「あんなんで役に立ったのか怪しいけどな。気をつけて」 「じゃあね」 ミシェルとロイが車に乗り込むのを、ジュリーと二人で見届ける。ジュリーが上に持ち上げてくれと 頼むので、オレはジュリーを抱えた。 『ロイ〜! 今日はありがと〜! 今度ビーフジャーキー送るわ〜!』 『…』 これが、彼女なりの反省の気持ちらしい。車に向かって叫んでいる。 しかし、ジュリーのブタ語が理解できないミシェルが車を発進させたので、ロイはみるみる遠ざ かっていく。 彼は寡黙なタイプなので、このまま返事をしないかもしれない。 車の中は照明も無いため、ロイの表情もわからない。時々、ライトに反射して目が光っているのが かろうじて見えるので、オレ達の方を見ているのは確かなのだが…。 じっとバックライトを見つめていると、カーブの直前で犬の遠吠えが聞こえてきた。 『…次は麻雀にしよう』 ジュリーが満足そうに鼻を鳴らしたのは言うまでもない。 ――あるときは麻薬捜査員と麻薬捜査豚       あるときは凡人と豚国宝       あるときは国民栄誉賞受賞者と国豚栄誉賞受賞豚…そんな       さすらいのトリュフハンターをあなたの胸に刻み込んでおいてほしい。                                    第3巻   ― 完 ―




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