第9話 容疑者連行 

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「すみません」 「何か?」 ヨハンが声を掛けた男は、落ち着き払った様子でゆっくりと振り返った。 普通、警察官に声を掛けられたら、多少なりとも動揺しそうなものだが、意外にも落ち着いている。 視線も手の動かし方も特に浮ついたところはなく、冷静さを装っているという訳でもなさそうである。 「署まで御同行願います」 「それは、私を逮捕するということですか?」 「いいえ。あなたがもし時間があるのなら、少しお話を伺いたいというだけです」 「私が断ったら?」 「それでも構いません。強制ではありませんから。───ただ、もしあなたが断った場合、私達は その理由を追及することになるでしょうね」 ヨハンは凄みをきかせた。                   『ねぇ、こっちの喋り方のほうが知的でいいんじゃない?───ああ、でも荒っぽい警察官ってのも いいわねぇ…ぶつぶつ』 ヨハンに聞こえていないのをいいことに、ジュリーは好き勝手に喋っている。 それにしてもすばらしい変貌振りである。 彼は警察官より役者の方が向いているんじゃなかろうか…。 「署まで来て頂けますね?」 ヨハンが押しにかかった。 「ええ。いいですよ」 相手はあっさりと承諾した。大した抵抗もなく、かといって観念しているという訳でもない。 どこか掴み所のない男である。 「すぐに車を回しますので、ここでお待ちください」 いつの間にか、ダイアンが隣に立っていた。彼女は実に無駄のない動きをする人間である。 「私は後部座席に彼と乗る。ランディーは助手席に乗ってくれ」 「了解」   ダイアンの運転するパトカーがすぐに現れ、ヨハンの指示のもと、オレとジュリーは助手席に乗り 込む。容疑者のアルベール・デルビーも長身を折り曲げて後部座席に収まった。 容疑者を乗せているということもあり、行きとは違い道路はスムーズに流れている。 『こんなに簡単に捕まっちゃっていいわけ? あたしの活躍する場所がないじゃない!』 ジュリーがいかにも不満と言った顔で、ブーブー文句を言い始めた。 「そんなことオレに言うなよ。小説の主人公じゃあるまいし」 『そうなんだってばっ!』 「…」 しばらくジュリーをじっと見つめてみたが、冗談を言っている目でもなさそうである。 「…お前…大丈夫か?」 オレが思わず口走った言葉に、ジュリーは怒りを覚えたらしい。 助手席のシートに、激しく頭突きをしはじめた。車の振動にジュリーの頭突きが加わり、助手席は 震度2程度で小刻みに揺れている。 「おまえ、こっちに来てから怒ってばっかりだぞ。どうした?」 『あたしだって色々ストレス溜まるのよっ! 退屈は最大の敵! 何かやることないの?』 「おいおい、なに猛烈サラリーマンみたいなこと言ってんだよ。心配しなくても、警察局に戻ったら 荷物検査がどっさり待ってるから、な?」 『荷物検査ねぇ…ま、いっか』 ジュリーはようやく落ち着いたらしく、座って窓の景色を眺め始めた。 オレ達を乗せたパトカーは、ベルサイユ宮殿の前を通り過ぎ、フランス警察局へと、もと来た道を 戻り始めたのだった。




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